ZEN大学では2026年1月、広島県豊田郡にある離島・大崎上島において、島の歴史や産業・経済についてフィールドワークを行い、「未来の島づくり」について提案する地域連携プログラムを実施しました。
学生たちは農業や漁業を体験しながら現地に1ヵ月間滞在し、島の暮らしや地域の課題を学ぶとともに、自分のキャリアや生き方についても考えました。
今回は、学生が活動の集大成としてまとめたジャーナルの中から、1年生の木村暖花さんの記事をご紹介します。
自然と対峙する三人との出会い
フェリーを使わなければ訪れることができない場所、大崎上島。瀬戸内海に浮かび、海と山、そして島々に囲まれたこの場所での一ヶ月を、私は「自然」という言葉に焦点を当てて振り返ってみたい。自然と共に生き、それを仕事とする人々の強さ。言葉を持たない自然と向き合い、対話した自分自身の変化。そして、「自然体で生きる」という自分自身の決意。東京にルーツを持つ私が、この島で何を感じ、変化したか、その軌跡をここに記録する。
この島に来て、自然を相手に仕事をする三人の方々に出会った。

一人目は、神奈川県出身で非農家という背景を持ちながら、レモンサワーが好きすぎるあまり、自らレモンを作り始めた石井さんだ。三日間にわたる農作業の合間、彼は「昨年は、育てたみかんがほとんど鳥にやられてしまった」と語った。その言葉に、私は強い衝撃を受けた。自分が経験している収穫という作業は、長いプロセスのほんの一部に過ぎず、収穫に至るまでには計り知れない苦労があることを思い知らされた。しかし、彼は「人間と仕事をするより、自然を相手にする方がいい」と言った。そこには、思い通りにいかないことも自然だから仕方ないと割り切り、前を向く寛大さがあった。
二人目は、家業を継ぎ農業を営む中原さんだ。彼からお話を伺う中で、私は彼の持つ好奇心や行動力に圧倒されるばかりだった。特に印象深いのは、ブドウの栽培への挑戦だ。ブドウの収穫には、最低でも三年の月日が必要だと言われている。しかし、その長い年月や結果を恐れることなく、一歩を踏み出す彼の姿は、自然という大きな存在に真っ向から立ち向かっているようだった。
三人目は、この島で漁師を営む中村さんだ。彼の船に乗せてもらい、養殖場を案内していただいた。「今年は雨が少なかったから海の栄養が足りず、わかめの成長がうまくいっていない」「原因は不明だが、二、三年かけて育てた大粒の牡蠣が九十三パーセントも死んでしまった」彼は、その深刻な状況に反して、笑いながら語った。予測不能な事態を前にしても、彼は「分からないからこそ、面白い」と感じていたのだ。正体の見えない相手と仕事をするための覚悟と心持ちに、私は驚きと深い感銘を受けた。
自分なりに向き合う中で見えてきたもの
この三名に共通して言えることは、予測不能な自然を相手にしているからこその、圧倒的な寛容さと行動力、そして前へ進む勇気を兼ね備えているということだ。それを踏まえて自分自身を省みると、人間社会の論理ばかりを相手にしている私には、どんな結果も受け入れるという寛容さが欠けていたのではないかと気づかされた。自然と対話を重ね生きる三名の逞しい背中は、困難に立ち向かうための大切な姿勢を教えてくれた。
そんな彼らに刺激された私は、私なりに自然と向き合ってみることにした。島での一ヶ月、プログラムの課題に加えて大学の授業も並行してこなす日々。初めて出会う仲間やスタッフとの共同生活、宿泊先の厳しいルールへの適応。そんな環境の中で、時には抱えきれない想いや、整理のつかない感情が溢れ出すこともあった。そんなとき、私は清風館の露天風呂から見える壮大な景色や、あるいは宿泊先の目の前に広がる夕日を眺めてみた。視界を遮るもののない、360度すべてを空に囲まれているような感覚。まるで自分が中心にこの世界が作られているかもしれないという不思議な錯覚さえ抱かせるものだった。自分を見失いそうになっていても、「そこにいてもいい」と肯定されているようだった。ただの綺麗な景色で終わらせるのではなく、自然と向き合うことでこんな感覚を味わえるなんて、思ってもみなかった。
.jpg?fit=max&w=3840)
「自然体」の前に立ちはだかる壁を壊してくれたのは
時をさかのぼり、島での生活が始まる前、私はある決意をしていた。それは、大崎上島では「自然体でいる」ということだ。私は油断すると、つい格好つけてしまう。弱さを隠し、「いい子」でいようとし、真面目な優等生を演じてしまう。だからこそ、この島では自分を繕わずにありのままでぶつかろう、そう心に決めていたのだ。
.jpg?fit=max&w=3840)
しかし、それは想像以上に厳しいものだった。普段は隠しているはずの自分の欠点が露わになり、ありのままの自分を出しているからこそ、かえって周囲の目が気になってしまう。そんな中で二人の先生からフィールドワーク、芸術の授業を受けた。お二人に共通していたのは「評価しない」というスタンスだ。無意識に「正解」を追い求めていた私は、指標のない自由にかえって強い不安を抱いた。「評価しない」といっても、人にはそれぞれ伝えたい想いや好みがあるだろう。それに触れた瞬間に、「評価されたくない、怖い」そんな拒絶反応に苛まれ、苦しんだこともあった。葛藤しながらも必死に授業と向き合う中で、ようやく気づいたことがある。これまでの人生で、私がいかに他人の評価を軸に生きてきたか。自然体でありたいと願いながら、実は自分の想いや考えを、誰よりも私自身が信じてあげられていなかったのだ。
加えて、現地スタッフの宙くんや広大くんの存在も大きかった。常に自分に正直に、自らのビジョンを体現する二人の生き方は、私の理想そのものであった。彼らと共に生活し、その思考や行動を間近で吸収しようともがく中で、「ありのままで生きる」ことがどういうことなのか、少しだけ掴めた気がする。
そして何よりも、同じプログラムに参加したZEN大生の仲間たち。みんなでもがきながらも、彼らはありのままの私をそのまま受け入れ、共に歩んでくれた。自然体でいいんだ、その確信をくれたのは、間違いなくみんなの存在だった。東京で生まれ育った私が無意識に身にまとっていた鎧が、1枚ずつ剥がれていくような、清々しい感覚だった。
島での1ヶ月を通して、自然体の自分を信じられるようになった今、自分も他者も、否定せず受け入れる寛容さを持ちたいと願う。このプログラムに参加する決意をした自分に、関わってくれた全ての人に、大崎上島に、心から感謝している。
